The Museum of Modern Art, Kamakura & Hayama
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もうひとつの現代展は7つの
部門で構成されています。
 
 
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山口蓬春  《宴》  
 
加藤栄三  《石庭》  
エリア1

戦後の荒廃した景色のなかでかつて麗しく感受できた美の世界を、ここでは追懐していただけるのではないでしょうか。
葉山に住まいのあった山口蓬春の《宴》に描かれた世界は、すさんだ心を癒す古代への夢想といえるでしょう。

また、加藤栄三の《石庭》は、不安に揺れる気持ちの落ち着く一瞬をとらえ、静かに充足する時間が戻ってくることを感じさせます。戦後の日本画は大きく変貌を遂げますが、ここでご覧頂きたいのは、その変化にもかかわらず、脈々と受け継がれてきた日本の美意識を新しい時代に見合うかたちで創造的に継承している画家たちです。

さらに日本画の世界は、伝統や自然の大きな枠組みを堅持しながら、人間の生き方に結びついた現実を作品にいかに反映すべきかという探求の時代を経て現代化の試みを多様に展開しています。


  朝井閑右衛門  《電線風景》
       
 
  糸園和三郎  左《黒い水》  右《黄色い水》
エリア2

ここでは戦争体験の痕跡がそれぞれの画家の内部でどのように造形化されたのかをみていただきたいと思います。
麻生三郎の《死者》のように、人間の実存を凝視して、人間とはなにかと問いつづけた作品。鳥海青児の《段々畑》は、人間の内的な問題というより、風土の根にあるものを執拗に探り出そうとする意識が鮮明に現われた作品。
そして、朝井閑右衛門の《電線風景》には、人間の内も外もいっさいが閉ざされて、応えてくれないことにたいする画家のジレンマが垣間見えます。長く田浦と鎌倉に居住し、風狂の画人と称されたように、どこかあっけらかんとした空気がただよっています。あてのない現代を予感させます。
糸園和三郎の《黄色い水》《黒い水》はベトナム戦争に材を取った作品ですが、声高な戦争批判ではなく、人間の宿命にも似た悲しみを見つめる画家の透徹したまなざしが感じられます。


山口長男《平面》  
 
山口勝弘
《ヴィトリーヌ No.37》
 
エリア3

戦後の60年代には世界の新しい芸術の潮流とときを経ずして日本でもさまざまな美術の動向が生まれます。戦前から継続されているシュルレアリスム系統のしごと、近代美術の文脈を根底から覆そうとした、吉原治良―《作品(黒地に白四角)》―の率いる関西の「具体」グループ、それから東京を拠点とした「実験工房」の芸術家たち、山口勝弘―《ヴィトリーヌNo.37》―など、多彩な前衛の登場によって、戦後美術の景色は大きく変革されていきます。このひとたちが彫刻の新しい次元を開き、その後、豊かな個性をもった次世代の作家たちが陸続と登場します。この展覧会でその多くの作家の作品に接することになると思います。

とくに注目してほしいのは、斎藤義重の《鬼》と山口長男の《平面》です。前者は、戦前以来の構成主義的なしごとに裏打された抽象絵画の理知的一面を代表するものであり、後者は、やはり戦前からの日本の油彩画を究明しつづけてきた画家の造形思想の深遠さをしめす一例となっています。

また、ニューヨークの美術界における影響力が高まり、川端実、猪熊弦一郎などはニューヨークを拠点としてその後、次々と渡米する日本の若い才能に大きな刺激をあたえることとなりました。


  野見山曉治  《なんでもない景色》
       
 
  菅井汲
《赤と黒》
  田淵安一
《黒い火山Ⅲ》
エリア4

50年代に入ると、才能にめぐまれた若い芸術家たちが渡欧することになります。長い戦争による中断を経てのことですから、パリの美術界そのものもまた再出発を期していたので、その光彩が直接日本の画家たちの精神を刺激することになりました。
異質な文化風土に直接身を置き、美術界の一員に加わり、時代の精神を共有した画家や彫刻家がこうして誕生してきます。

菅井汲の《赤と黒》、田淵安一の《黒い火山Ⅲ》は、日本の意匠を借り、それを大胆にヨーロッパの造形言語に融和させた抽象画です。そして、イメージの変容=かたちの綾取り、の魔術を駆使した野見山曉治の《なんでもない景色》などにはどこかフランス的な気分がただよっています。また、おりからアンフォルメル旋風が吹き荒れ、その先陣を切った今井俊満―《蝕》―は、パリ画壇の寵児となりました。


 
棟方志功  《花矢の柵》
エリア5

ここでは天井の高さに着目していただきたい。比較的サイズの大きな作品を展示することになりました。国民的な木版画家と称してよい、棟方志功の《花矢の柵》は、六曲一隻の屏風に仕立てられていて、木版画としては稀有の大きさをもっています。今日、あらためて注目を集めているアニミズムの世界が、志功の大きな童心に導かれて、自由に、奔放に、翼を伸ばし、跳ね、疾駆するさまが鮮やかにとらえられています。
 
横山操  《波涛》
片岡球子の《幻想》は、雅楽に想をえた作品です。日本画として普通には考えられないような強烈な色彩でデフォルメされた人物像を描いています。同じような意味で、横山操の《波涛》は、雄大なスケール感で自然を直視した海景であり、波涛の響きが伝わってくるような錯覚に襲われます。

異色の生け花師として脚光を浴びている中川幸夫の《魔の山》は、山となした想像を絶する数の薔薇の花びらをみずから撮影した作品です。トマス・マンの『魔の山』に惹かれた作者の死の思想を大胆に表わしたしごとです。


 
  高松次郎  《世界の壁》
   
 
  中西夏之
《弓形・弓ぬき》
エリア6

ここではやや哲学的な言い方になりますが、現代日本美術の根底に潜伏する思想を独特の方法論で展開した作家たちを紹介しています。なかでも高松次郎の《世界の壁》は、この作家の「影」のシリーズの代表的な作品です。高松は中西夏之―《弓形・弓ぬき》―とともに「ハイ・レッド・センター」の活動を繰り広げ、いまなお刺激的な現代美術の問題を提起した作家として記憶されています。

そうした問題と関連する彫刻の課題に挑んで、従来の彫刻の概念を越えた世界を提示したのが、若林奮です。また、東洋的な深い思索に裏打ちされた造形思考をもって、現代美術の閉塞を打ち破り、解放された自在な空間を演出する李禹煥がいます。時代を同じくして共通の課題をもった作家たちがさらにそのあとに続きます。かれらは、それぞれ表現媒体を異にし、新しい問題の提案者となっています。


辻晉堂
《詩人(これ我かまた我に非ざるか》
エリア7

この展覧会では戦後日本の彫刻界を代表する作家たちの比較的小さな作品を中心に展示しました。柳原義達、佐藤忠良、舟越保武など戦後の具象彫刻を先導した作家たち、一方、堀内正和、向井良吉、建畠覚造などの抽象彫刻の作家たちが活躍しました。

このひとたちが彫刻の新しい次元を開き、その後、豊かな個性をもった次世代の作家たちが陸続と登場します。この展覧会でその多くの作家の作品に接することになると思います。

大きく現代彫刻の作家たちを分類しますと、彫刻形態のもつ造形の可能性に挑戦した作家、彫刻と設置される場所との関係に新たな提案を試みた作家、そして、現代文明のもつテクノロジーの可能性を積極的に彫刻の課題として採用した作家、さらには、現代社会の矛盾を彫刻の言語によって鋭く照射した作家など、さまざまな彫刻家たちが活躍したことが知られます。

そして、作品の題名に象徴されるように、辻晉堂の《詩人(これ我かまた我に非ざるか》は、戦後彫刻史の伝統と革新の十字路にすっくと立つ彫刻の思索者のごとく感じられるのではないでしょうか。


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