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ベン・シャーンとジョルジュ・ルオー展 会期は2014年7月5日(土曜)から9月15日(月曜・祝日)まで 展覧会内容詳細はこちら

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休館日

月曜日(ただし7月21日、9月15日は開館)

開館時間

午前9時30分~午後5時(入館は4時30分まで)

観覧料

一般 250円(団体150円)
20歳未満と学生 150円(団体100円)
65歳以上と高校生 100円

  • 団体料金は20名様以上から適用されます。
  • 鎌倉館の観覧券で当日に限り、無料でご観覧いただけます。
  • 中学生以下、障害者手帳をお持ちの方は無料です。
    その他の割引につきましてはお問い合わせください。
  • 「ファミリー・コミュニケーションの日」
    毎月第1日曜日(今回は7月6日、8月3日、9月7日)は、18歳未満のお子様連れのご家族は、優待料金(65歳以上の方を除く)でご観覧いただけます。

主催

神奈川県立近代美術館

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展覧会概要

 ベン・シャーンとジョルジュ・ルオー。およそひと世代をことにする二人の画家は、シャーンはニューヨーク、ルオーはパリを中心に活動し、その画業や人生に直接の交わりはありません。しかしこの二人には、輪郭や線、黒という色を大切にし、絵画や版画での制作からデザインにもその仕事が及んでいること、職人の世界を経験しながら美術学校に学んだことなど、いくつかの共通点が認められます。また、何よりも、表現の仕方は違っても、二人は、20世紀という困難な時代に抗して、作品の底に深いヒューマニズムと喜びを宿し、その前に立つ私たちに、静かに、しかし大きな力で訴えかけてくるのです。
 今回は、ルオーの版画集「ミセレーレ」とシャーンの版画集「一行の詩のためには・・・:リルケ『マルテの手記』より」の二つの版画集を全点展示し、さらに各々いくつかの作品を加えてご紹介します。

ジョルジュ・ルオー
《市門に立つキリスト》 版画集「パッション」
1935年 銅版、紙  当館蔵 (望月冨昉コレクション)
(後期のみ展示:8月17日(日)~9月15日(月・祝))
©ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2014 E1034

ベン・シャーン
《松葉杖の女》
1940-42年 テンペラ、紙  当館蔵 (麻生三郎コレクション)
©Estate of Ben Shahn / VAGA, New York &
JASPAR, Tokyo, 2014 E1034

ベン・シャーン
《飛ぶ鳥の姿》 版画集「一行の詩のためには・・・:リルケ『マルテの手記』より」
1968年 リトグラフ、紙 当館蔵 (麻生三郎コレクション)
©Estate of Ben Shahn / VAGA, New York &
JASPAR, Tokyo, 2014 E1034


■ ジョルジュ・ルオー
1871年 パリ・コミューンの戦火のさなか、パリに生まれる。
ステンドグラス職人の見習いをしながら装飾美術学校に通う。
1890年 絵画に専念する決心をし、国立美術学校に入学。
1903年 師であったギュスターヴ・モローの美術館が開館し、館長に任命される。
1917年 パリの画商アンブロワーズ・ヴォラールの依頼による制作や支援を受けるようになる。
1925年 レジョン・ドヌール勲章騎士章を授与される。
1927年 「ミセレーレ」のための版画58枚が完成、出版は47年。
1933-36年 「パッション」制作、39年にヴォラールにより出版。
1958年2月13日 パリで死去。
2月17日 サン=ジェルマン=デ=プレ教会で国葬。

ルオーの「ミセレーレ」は、父の死と第一次世界大戦の悲惨な経験がその構想をもたらし、10年近い時間の中で成立した版画集です。ラテン語の祈り「ああ神よ、願わくは主の大いなる慈悲によりて我を憐れみ賜え」の一部を標題とするこの作品は、労働、苦痛、裏切り、不正、愛情など、人が生きる間に直面する逃れ得ない様相を描きます。1951 年に開館した神奈川県立近代美術館の開館記念第2回展が「ルオー『ミセレーレ』展」でした。今回とは別の刷りによるものですが、同じく58点全点が展示されています。第二次世界大戦復興の中で誕生した当館にふさわしい、そして見る人の大きな共感を得たに違いない展示でした。









■ ベン・シャーン
1898年 帝政ロシア領のユダヤ人居住許可地域だったコヴノ(現在のリトアニアのカウナス)でユダヤ人家庭の長男として生まれる。
1906年 アメリカに移住。
石版画工房の徒弟をしながらいくつかの学校で美術を学ぶ。
1925年 パリに4ヶ月滞在し、リルケの『マルテの手記』と出会う。
1954年 ヴェネツィア・ビエンナーレにアメリカ代表として出品。
1960年 第五福竜丸事件を主題にした「ラッキー・ドラゴン」シリーズを制作。3月からほぼ1ヶ月、日本に滞在。
1968年 『マルテの手記』による版画集「一行の詩のためには・・・:リルケ『マルテの手記』より」を制作。
1969年3月14日 ニューヨークで心臓発作により死去。

シャーンがドイツの詩人リルケの小説『マルテの手記』に出会ったのは28歳のとき。パリに着いたばかりでセーヌ川岸に軒を連ねる本の屋台をのぞいていた時でした。小説の主人公マルテも28歳でパリに着いたばかり、という設定で、「まるで自分のことのように思えた」と語っています。この本はシャーンの生涯の友となりますが、リルケが「人は一生かかって、しかもできれば70年あるいは80年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そうしてやっと最後に、おそらくわずか一行の立派な詩が書けるだろう。詩は人の考えるように感情ではない。・・・詩は本当は経験なのだ」と語ったように、作品化する構想はシャーンが70歳になるまであたためられ、1968年に小説から引用した一節に挿画をつける詩画集の形で結実します。2011年、東日本大震災の衝撃が覚めやらぬ12月に当館で開会した「ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト」展でも出品され、多くの人の心を揺さぶりました。


関連企画

担当学芸員によるギャラリートーク

日時 2014年7月19日(土曜)、8月16日(土曜)
各日午後2時より
会場 神奈川県立近代美術館 鎌倉別館 展示室
申込不要・参加無料 (ただし展覧会の観覧券が必要です)



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