メディア・アートの先駆者  山口勝弘展

   1950年代の「実験工房」時代から現在まで、テクノロジーがひらく新しいアートの可能性を追求してきた山口勝弘。
   その芸術をつらぬく詩的な宇宙的ヴィジョンに注目しながら、20世紀後半の日本の美術、デザイン、視覚文化におおきな足跡を残してきた多領域にわたる活動の全貌を紹介します。本展は、山口勝弘の60年におよぶ多彩な芸術活動を回顧する展覧会です。
   初期の抽象絵画から、「実験工房」での共同制作作品、山口芸術の原点ともいうべき「ヴィトリーヌ」シリーズ、1960年代に始まる多素材の彫刻、空間・環境的な仕事、1970年代からのメディア・アーティストとしての展開、そして最新のテアトリーヌ・シリーズまで、絵画、彫刻、映像作品、映像インスタレーション、ドローイング、写真、印刷物、音源資料など約200点を「7つのセクション」に分けて、紹介します。
無題/1949年
1. ツェッペリンとニュー・ヴィジョン
   1928年東京に生まれた山口勝弘は、大学在学中の1948年に最初の抽象絵画を発表します。独学で美術の道にすすんだ山口は、アメリカに亡命したバウハウスの作家モホイ=ナジの造形理論を研究、また岡本太郎や瀧口修造など戦前戦後をつなぐ日本の前衛の先達からも大きな影響を受けています。少年時代から飛行機や船舶のデザインに魅かれていた山口の作品には、重力の束縛を逃れた、運動や飛翔、宇宙への憧れなどが表れています。
『イルミナシオン』
「バレエ実験工房]/1955年
美術:山口勝弘(撮影:大辻清司)
2. 実験工房の時代
   1951年、山口は、美術の北代省三、福島秀子、作曲家の武満徹や湯浅譲二、音楽評論の秋山邦晴、写真の大辻清司など、さまざまな分野の若い芸術家たちとともに、芸術の諸領域を結ぶインターメディアの先駆けともいうべき「実験工房Experimental Workshop」を結成します。詩人瀧口修造が命名したこのグループは、オリジナルバレー「生きる悦び」の上演をはじめ、演奏会、「オートスライド」(東京通信工業(現SONY)が開発した音声付スライドプロジェクター)による映像作品上映会、電子音楽と造形的インスタレーションなど、多角的な活動を展開しました。
3. ヴィトリーヌ
ヴィトリーヌNo.37/1953年
神奈川県立近代美術館蔵
   「ヴィトリーヌ」と名付けられた作品シリーズは、1950年代の山口勝弘を代表するものです。これは前面にはめたモールガラスによる屈折で、見る者の視点によってイメージが変化して見えるという独創的な箱型の作品です。旧来の絵画や彫刻の枠を外れたこの独創に、フランス語でショーウィンドウを意味する「ヴィトリーヌ」の名前を与えたのは瀧口修造でした。瀧口が「眼のオルゴール」とも評した「ヴィトリーヌ」は大小80点余りがつくられ、レリーフを仕組んだもの、中に蛍光灯を仕込んだものなどさまざまなヴァリエーションがあります。
ユニヴァース/1968年
東京国立近代美術館蔵
4. 360°の想像力:60年代の素材的実験
   1960年代に入ると山口の仕事は、金網、布張り、ワックス、磁石、アクリル樹脂、光など、さまざまな素材を用いた立体作品に展開していきます。この転換のきっかけとなったのは、1961−62年の最初の欧米旅行でした。光と空気を透過させて浮遊する山口の作品は、展示のあり方においても天井から吊り下げられたり壁に貼り付いたりして、過去の彫刻の重力感に反逆しています。とくにアクリル樹脂をもちいた光の彫刻は、グッゲンハイム国際展(1967)やヴェネツィア・ビエンナーレ(1968)など、国際展でも高い評価を獲得しました。また、ニューヨークでオノ・ヨーコなどと交際し、「フルクサス」の活動に触れた山口は、イヴェントやハプニングなどパフォーマンスによる実験も行なっています。
5. 「空間から環境へ」:デザインとプロデュース・ワーク
大阪万博三井グループ館の前の山口勝弘
1970年
   1960年代は、アートとデザインの間に新しい交流が生まれた時代でした。空間や環境を強く意識するようになった山口は、インテリアデザインも手がける一方、パブリック・アートの作品制作を含む建築デザインや庭園彫刻の制作を始めています。とくに1970年に大阪で開かれた国際万国博覧会EXPO’70では、三井グループ館の綜合プロデューサーに指名されて、建築計画から上演作品「スペース・レビュー」の装置、演出を含む綜合ディレクターとして活躍しました。その後も山口の仕事は、ポートピア‘81(神戸)のテーマ館、淡路島芸術村計画(1990)、大阪や台北でのパブリック・アート(1999)などに大きく展開していきます。
夢遊桃源図ー電脳影絵彫刻T/U
1999年
4. ヴィデオとメディア・コミュニケーション
   1960年代後半、小型のVTRとビデオカメラが開発されたことがきっかけとなって、ヴィデオ・アートと呼ばれるジャンルが生まれました。1972年に山口、かわなかのぶひろ、小林はくどう、中谷芙二子らが結成した「ビデオひろば」は、社会的なコミュニケーションのツールとして映像メディアを強く意識するようになった時期の活動です。また山口は、見ること・見られることが同時的に生成するビデオの特性を生かして、鑑賞者を作品の一部であるモニターに映し込む《ラス・メニーナス》などを発表。そうした双方向的な視覚文化の未来像を「イマジナリウム」という概念で提起しました。
   さらに1980年代に入ると、複数のモニターや鏡を使って増殖したヴィデオイメージは、「銀河庭園」(1986年)や「未来庭園」(1984年)など、大規模で複合的な映像インスタレーションへと展開します。新しいメディアの可能性とそれが生み出す環境、社会へのヴィジョンは、その後も山口の大きな関心となっており、新しいテクノロジーとメディアを用いたアートの普及・浸透を図るための「グループ アール・ジュニ」(Group arts-unis)の結成(1982年) 、淡路島に設立したアトリエ「山勝工場」など、さまざまな試みを行なっています。
月光のパルテノン/2005年
(「宇宙シリーズ」より)
4. 宇宙のテアトリーヌ
   近年の山口の仕事は、さまざまな技術を駆使してきた60年におよぶ活動の根源に、コスミックなヴィジョンを確認しようとしているかのようです。作品表現の空間を情報とコミュニケーションが生成する宇宙とみなす自らの詩的なヴィジョンに注目しているのです。「創造の舞台としての宇宙」を意味する「テアトリーヌ」(伊語のテアトロTeatro:劇場から派生した山口の造語)のコンセプトの下で、精力的な制作を続けている山口の現在を示すものとして、「宇宙」シリーズ、「顔曼荼羅」シリーズとインターメディア作品テアトリーヌの構想スケッチを展覧します。
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山口勝弘  略歴
1928
東京生まれ
1951 日本大学法学部卒業
北代省三、福島秀子、武満徹、秋山邦晴らと「実験工房」を結成する
1961-62 初のヨーロッパ、アメリカ旅行。ニューヨークで小野洋子ほか「フルクサス」のメンバー等と交流、またキースラーのアトリエを訪ねる
1970 日本万国博三井グループ館チーフプロデューサー
1972 ビデオによる芸術活動を目的とした「ビデオひろば」を結成
1977-92 筑波大学芸術学系教授
1978 『環境芸術家キースラー』を刊行
1981 ポートピア'81テーマ館顧問
1982 グループ「アール・ジュニ」の結成に参加し,日本におけるハイテクノロジーアートの推進活動をはじめる
1990 淡路島芸術村計画の推進活動をはじめる
1992-97 名古屋国際ビエンナーレ,アーテック・ディレクター
1992-99 神戸芸術工科大学視覚情報デザイン学科教授
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